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徒然メモ。「人生のトロフィーについて」

・久しぶりに徒然と何か書きたくなってキーボードに向かった。さてどうしよう。


人生のトロフィーについて。

いま楽音寺は33歳だ。先月またひとつ歳をとった。
若い頃(20代)よりも生活から気楽さが減って物寂しい感情を味わう機会が増えた。

たぶん、「この年齢ならこのくらいの人生のトロフィーを保持していなければならぬ」という強迫観念が
働いている所為だ。社会的地位とか名誉とか資産とか家族とか創作物とか。

若い人間なら「まだこれから」が通じただろうが、その期間はそろそろ限界だ。
もし俺が“何者か”なら人生の半ばを過ぎた現時点でもう色々と集まっていなければおかしい。
才能の片鱗であるとか、成功の基盤であるとか、人脈であるとか、豊かな人生経験であるとか……。

困ったことにそうした人生のトロフィーが殆どない。
ゲームはもう中盤なのに徒手空拳なのが辛いのだ。

あるものを数えてみよう。

平穏で静かな暮らし。大病の無い健康体。平均的な貯金額。ちょっとした雑学。手遊び程度の画力と文章力と詩情。
良好な家族関係。好き嫌いの少ない嗜好。常に飯が美味い。映画好き、読書好き、ゲーム好き。
論理的(であればよいなぁ)思考。やや浮きがちな個性。不器用な社会性。いちおうニートじゃない。借金もない。

……うん? 意外と悪くないぞw

まぁしかし、世間様に誇れる要素(トロフィー)足りえていないものばかりなのが問題なのだろう。

社会に対して自分を良いカタチで紹介できる材料がないと、いつか強烈な惨めさを感じてしまう危険がある。
ミジメ耐性は年々失われていくのだ……。精神は脆弱になってゆくのだ……。それに備えなくては……。


ではこれから如何にしてトロフィーを集めていくべきか?

と、ここまで書いて眠くなったからもう寝ることにした。
新時代(令和)はじめての記事がこの体たらくである。なんなのだこのおじさん。
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[ 2019/05/01 00:50 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「理路整然と話したい」

「正しい論理を展開する能力」はどのように鍛錬すればいい?
この能力の個人差は実に大きく論理的でない人の言葉や文章は驚くほどに支離滅裂だ。
論旨が不明瞭だったり、展開が下手だったり、結論があさっての方向を向いたりする。

また、そのことに本人自身が気づいていなかったりするから不思議だ。
自分もそうだったらどうしよう……と危惧してしまうw
自戒の意味も籠めて、論理的であるために楽音寺がしている事を列挙してみる。


・論旨を簡潔にする
テーマやコンセプトは一言で伝わる言葉が良い。

・接続詞を正しく運用する
「よって」「つまり」「でありながら」「にもかかわらず」etc……。
順接や逆接を操り、情報を整理しながら、最終的な到達地点へ綺麗に着地できるようにする。

・脇道に逸れ過ぎない
文章を書いている最中、新たに言いたい事ができて、それに触れようと脇道を作ることがあるが、
その場合でも(  )を使ってちょっとした補足に留めたり、
「~という説もあるけどそれは一旦置いといて」と、すぐ本道に戻る努力をするべきである。

・テーゼとアンチテーゼを提示する
主論に対して反論を併記し、それぞれを評価した上で結論にもっていく。
自分の意見を受けて読者が抱く(であろう)反論を予想・代弁することで「腑に落ちた」感覚を与える。

・持論を何度も検証する
持論が正しいか否が最重要である。自分で立てた命題に瑕疵が無いかシミュレートする必要がある。
正論を、反論を、極論を、そもそも論を、例外を、言い換えを、似たような事例を、常に探すべきだ。


……と、楽音寺はだいたいこのような事を念頭において文章を書いているのだけど、
ちゃんと強度のある理屈をつくれているかについてはとんと自信がない。
やはりブログで書き散らすだけでなく実際の議論の場で揉まれないと論理的思考は育たないのかもしれない。

ううむ。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2018/07/07 09:25 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「どうして人を殺してはいけないの?」

高校生の頃、友人と「どうして人を殺してはいけないの?」という命題について考えたことがある。
楽音寺の答は「べつに殺してもOKな場合もあるよ」だった。

たとえば「中絶」。
性犯罪の被害によって出来た子供だったり、障害児だったり、
母体の健康を著しく損なうケースだったり、やむなく堕胎を行う/行わざるを得ない場合はある。
むしろそうした状態の時に中絶を選択できないと余計に悲劇的な状況に成り兼ねない。

たとえば「安楽死」。
日本では未だ導入されていないがオランダ等の一部の国家では行われている。
誰もが自分の生き方を選ぶように、自分の死に方を自分で決められることは“自由”の一種だと思う。

たとえば「死刑制度」。
“人権”とは人間が群れを維持するために互いを守り合う紳士協定であり、約束だ。
他人の人権を侵害する者は群れから危険因子とみなされ人権を剥奪される。当たり前の事である。
彼方から契約を破棄したのだから此方にはもはや履行する義務はない。

たとえば「医療行為」。
成功率の低い手術であったり、生命維持装置の停止であったり、直接/間接的に命を左右する決断があっても、
本人および関係者の意思確認と正当な手続きを経ていれば、医者は罪に問われない。

たとえば「正当防衛」および「緊急避難」。
断崖絶壁にぶら下がっている者は、自分の足にぶら下がっている者を蹴落としても良い。
激流に飲まれながら必死で板に縋りつく者は、板を奪おうとする者を振り払っても良い。
“カルネアデスの板”である。

たとえば「戦争」。
戦争は外交の一種であり、特に防衛戦争は国際法にも国内法にも抵触しない“合法な殺人行為”だ。
ひとたび起これば通常時の倫理観は鳴りを潜め、「敵を多く殺すほど善い」という戦時の倫理観が生まれる。


……総括すると、「国家に承認された殺人」は凡そOKで、「国家に承認されていない殺人」がNGなのだ。

我々は「何があっても人殺しは絶対にダメ」という良識を刷り込まれているが、
それは合理的判断ができないアンコントローラブルな(つまり馬鹿な)人間を縛るための鎖でしかなく、
実際には世界の至る所で“承認された殺人行為”は必要とされているのである。

赤信号は絶対に渡ってはいけないが、警察の巡回車は赤信号を突破してもよい――というのと似た感覚で。

法治国家を成立させるにおいて大切なのは、基本規則と例外規則をきちんと使い分けること、
「誰に、どんな状況の場合に、どの程度 特例権限を与えるか」というガイドラインを明確にすることであろう。

そこを間違うとドストエフスキー『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフのようになってしまうのである……。


というような事を当時の楽音寺は考えていた。厨二病である。

現在は、子供に「どうして人を殺してはいけないの?」と聞かれたら
「ダメったらダメなの!絶対ダメ!」
って頭ごなしに答えても良いと思っている。 いやー、結構そういうのも大事だなーって……w にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2018/07/03 23:28 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「ベーシックインカム」

最近よく元2ch管理人ひろゆきの配信を観る。価値観が先進的で面白い。
そこでベーシックインカムという政策について頻繁に語られるので、概要をまとめておく。

簡単に言うと、全国民に無条件で月額いくらの給付金を配る制度のことだ。

額は「最低限文化的な生活」がギリギリ送れる程度、月8万~12万くらいが想定されている。
国民でさえあれば受け取れるので、子供の数が多いほど世帯収入は増える。
仮に月12万給付で5人家族なら(給料とは別に)月60万円の収入が約束される。

もちろんこれだけで暮らしてもいいし、今まで通り働いて給料+給付金を受け取っても良い。
基本的に生まれてから死ぬまでずっと給付される。
荒唐無稽な夢の話だと思われるかもしれない。

ただし財源として、これまでの社会保障を改正・解体して補填する案が主流である。
その一部を紹介する。


たとえば生活保護。
ベーシックインカム自体がすべての国民の生活を保護する「完全な代替品」なので、解体される。
現状の生活保護制度は「対象者が受給条件を満たしているか」の調査に膨大なコストがかかるが、
ベーシックインカムは無条件で配る性質のものであるため、選定・調査コストの大幅な削減が図れる。


たとえば年金制度。
これは強制加入・強制徴収の「実質的な税金」でありながら、
「老人世代はひたすら貰い得、若年世代はひたすら払い損」という完全に崩壊している制度であるため、
可及的速やかに解体する必要がある。

ベーシックインカムが施行された暁には、基本的に老後の備えは個人で行うものになる。
民間の養老保険や個人用の確定拠出型年金などは存続するためそちらに任意で加入すれば良い。


たとえば医療保険。
現状では現役世代は3割負担、老人世代は1割負担、生活保護者は無料で医療が提供されている。
そのため病院は老人の寄り合い場所と化し、医者の手を圧迫し、さらには処方薬の転売の温床にもなっている。

これを一律で3割負担にする。
改正後は「自分の体調および寿命は自分で管理する」という意識でもって計画立てて貯蓄するスタイルが推奨される。
もともと医療費の支払いには上限があり(高額医療費制度)、おおよそ月10万は越えないようになっているので
自分の人生にどれだけの医療費が必要かは試算可能だ。延命措置を望むか否かも含めて……。


つまり、全体的に「カネは配るが社会保障は無くなるから自分で貯金してね」という社会になるのである。
老いても、病んでも、社会は助けない。
貯蓄が尽きた者は、それがそのまま寿命になる。

働いて貯蓄するのが困難な人(障碍者etc)は月8万~12万で暮らすしかなく、お金が無くなればそれで詰む。

このドライな結論が、おそらく最も議論を呼ぶ部分であり、しかし最も重要な部分だ。
「老人や傷病者に対する“無駄な延命”に社会的資源を注ぎ込むべきか?」という問い。

多くの先進国が延命治療に意味はないと断定しているのに対し、日本はそれを止めようと提案することが難しい。
しかし、そろそろ何処かで決断しなければならない問題だろう。

ベーシックインカムという制度の要点は、実のところ「全国民に金を配る」ことではなく、
「破綻した制度をまとめて解体しよう」という病巣へ入れるメスの役割なのかも知れない……。


……なんて、珍しく社会制度について語ってみたりしました。誰が見るんだろうこんな記事w
まぁでも、こういう固い文章も、書けないよりは書けた方が良いよね。練習練習。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2018/05/31 00:37 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「肉食VS草食」

ニュース系のまとめサイト等でたびたび目にする話題に「ベジタリアンの主張」がある。

いわく、肉を食べるのは動物が可哀そうだとか。
いわく、美味のために命を奪うのは罪深いことだとか。
いわく、肉食は飼育コストがかかるため効率が悪いだとか。

楽音寺は普通に雑食派だしエゴイストだし、自分の幸せ(QOL)のために動植物を殺すのはOKなんだけど、
せっかくだからベジタリアン側の思考回路も理解してみたい。
自分の考えを深めるためにも強い仮想敵が欲しい。

なので、ちょっとベジタリアン側に立ったつもりで理論武装してみようと思う。

えー、まず、感情論は極力排除せねばなるまい。
「可哀そう」「罪深い」みたいな意見はだいたい「じゃあ〇〇はどうなんだ」と反論される。
植物も命だろとか、虫や微生物は可哀そうじゃないのかとか、実験動物を使う医薬品にも反対なのか、とか。
世界中の人間が肉食に興味を持たなくなったら畜産業および家畜が絶滅して結果的に悲劇が起こる、とか。

「尊い生命を守ろう」という方向性で行くのはあまりにも分が悪すぎる。自分が実践できない。

インドで坊主になって不殺傷(アヒンサー)の戒律を守るため道を箒で掃きながら歩き、
手に入るモノ・カネはすべて世界の恵まれない人に寄付をしながら生きる、
肉も魚も乳製品も果物も卵も食べない絶対菜食主義者(ヴィーガン)になるしかない!w

や、それでも野菜食べてるからダメか……w 霞でも食うしかないな。仙人か。


飼育コストを指摘するのはどうか。
1kgの肉を得るためにはその数十倍の穀物が必要だ、という奴だ。

でもなー、これもイマイチな気がするんだよなー。

実はこの世界の食糧問題は既に「生産量」の点では解決できていて、全人類が飢えないだけの食糧は作れるが、
しかし「分配」の問題があって、たとえば北朝鮮の民が飢えてても日本としては容易に支援できないように、
政治的・軍事的・経済的な理由によって食糧を配れないでいるだけなのだ。

仮に世界の半分が菜食主義者になったとしても、余った食糧が飢えた人に行き渡るかどうかは別問題なのだ。


そもそも飼育コストが問題なら、畜産技術の効率化やら、品種改良やらを推進すれば良いという話にもなり得る。
「太陽と水だけで育つ上に3倍速で成長して増えまくる最高に美味しい豚ができました!」
という話になった時、ベジタリアンたちは「すごーいじゃあ肉食OKですー」と言うだろうか?

……言わない気がするw

結局、彼らの主張の要点はコスト問題では無いはずだ。

「コスト重視のためにもやしとかクロレラばっか食ってます!」
「人間用の野菜は高いので家畜用のとうもろこし(デントコーン)でいいです」って菜食主義者は居ないだろう。
「イワシは獲れ過ぎて困るくらいだから食べても良いよ」みたいな部分的な寛容も無い。

「コストが高いか低いか」ではなく「肉か野菜か」で分けている。明らかに。


うーん、やはりベジタリアンの気持ちを汲むのは難しい。考えるの疲れた。今度、関連記事を漁ってみることにする。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2018/05/28 19:48 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「有意義なことがしたい」

人生の峠を越し、終わりを意識するにつれて、段々と物事の意味を求めるようになってきた。
RPG終盤の「もうすぐクリアなのにこの作業に意味はあるのか」現象である。

若い頃は「趣味は楽しければそれで良い」派だった。意味など不純だと考えていた。
もちろんそれが真理だと今でも思いはするが、人間は(いや、俺は)そこまで強くないようだ。

享楽的で刹那的で受動的な趣味に完全に没頭できる自信がない。
世間の目も気になるし、自分自身にもそこまで肯定的になれない。

“積み上げてる感”が欲しい。
実生活に役立つ要素が欲しい。
なるべく多くのコミュニティで認められる技術が欲しい。

つまり、何か有意義だと感じられる事がしたいのだ。


だから俺は今、貯金をし、健康に気を遣い、資格を得て、技術を磨く、知識をつける……
というような事を、一応、曲がりなりにもやろうと試みているのである。

(あとサバイバル技術も身につけたいな。釣りとか農業とか。ソロキャンプ的なことが出来たら楽しい)


しかし、有意義さの奴隷になるのも……なんだかなぁ、という気もする……w
「死ねば終わり」なのは紛れもない真実だ。
いや、でも、逆に言うと死ぬまでは人生は続くのだし……。虚無的になるのは勿体ないのでは……。

結局、この悩みはずっと続くのかもしれないな。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2018/02/18 22:44 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「自分はどういう人物か?」

「自分はどういう人物か?」と考える事が非常に多い。慢性的にループ思考していると言って良いくらい。
自己評価はある程度できるのだがそれに確信が持てない。なんだこの状態は。

友達・恋人・家族etcがほぼいない=他者という鏡を持たない=評価基準に乏しい=自分のことが分からない?

うーん。誰かに「お前はこういうやつだよ」と言ってもらいたい。
でも、実際に言われた時、俺はそれを信じなかったり謙遜したり「いやいやそうじゃなくて……」と言い訳している気がする。

心理学に「ジョハリの4つの窓」という用語がある。
「自分が知る自分」「自分が知らない自分」
「他人が知る自分」「他人が知らない自分」の4つの側面が人間にはある、というやつ。

それで言うと、俺は「自分が知らない自分」を他人に指摘してもらい、「あっ!」と感銘を受けたい……のではないだろうか。
(贅沢なやつだ……w)


この心理状態になるのはたぶん俺だけじゃない。
同じ気持ちをもつ人間がたくさんいるから、「誰にでも当てはまるアドバイス」=「占い」の需要があるのだ。

「仕事にふりまわされて自分を見失っていませんか?」とか適当なことを言ってもらって「あっ!」と感銘を受けたいのだ。みんな。


まぁ、俺の凡庸すぎる悩みとその結論はさておき、物事を常に最新の状態で評価(モニタリング)することは大事なので、
今後も俺は俺のことを確認していく。

方法は?
自分の構成要素(なかみ)を外界に出して、飾って、いつでも閲覧できるようにする。
創作行為であったりコレクションであったり美意識であったり模様替え・ガーデニングであったりSNSであったり日記であったり。

世界に爪痕を残すことで自分の存在を確かなものだと思い込む。錯覚だとしても。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2017/10/21 21:22 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「ないものねだり」

才能ある人間は「努力が大事だ」と言う。
努力するしかない人間は「才能には勝てない」と言う。

卑怯なやり方が日常だったイギリスで騎士道精神が謳われ、
多民族の寄せ集めだった中国で中華思想が生まれ、
勇気がなかった日本で武士道が神聖視された。

人間は無い物ねだりをする、というお話。

楽音寺だってよく「××さんは凄いなー」と羨ましがるけれども
それだって無い物ねだりかもしれない。
有る物だってきっとある。

「自分にはあれが無い、これが無い」だけじゃなくて
「自分にはこれが有る」という部分もちゃんと探さなきゃね。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2015/06/22 14:02 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「頭の良い人」

頭の良い人の創作物を見ると本当に素晴らしくてため息がでる。
物事に詳しく、すべての理由が考えられていて、一事が万事に通じている。
ただの背景にも地形があり、植生があり、歴史があり、人間関係がある。

頭が良い人は「広く深く」ができる。
意外と、「偏った天才」よりは「博識な天才」の方が多いと感じる。
好奇心や興味を持つ努力、好きな分野を広げる努力、学ぶノウハウに長けている。

人間力に差があるな、と感じる。
まったくもってこの世は不公平で、浅く狭く乏しい人間はどう生きればよいのか…w

結局は、日常的に脳を使うしかないだろう。
仕事にも趣味にも会話にも食事にも掃除にもコーヒーの淹れ方にも。

こだわって、追及して、疑問をもって、来歴を調べて、雑学と矜持をもって生きる。

頭が良い人が自然体で行っていることを、必死で無理して真似していくしかない。
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[ 2015/06/22 11:52 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「成長の4つのステップ」

・知識は有る無しだけでなく、浅さ深さもある。
深く実感した情報でなければ己の行動様式に影響を与えられない。
他人に何百回となく教えられた事より、自分で気付いた事の方が価値があるのだ。

・しかし…あくまでも「自分にとっての価値」。
車輪を再発明しても誰も褒めてくれない。
まず既存の知識を得て、次に実感し、そして発展させ、新しい何かを創らねば社会的価値は生まれない。


・「成長」の4つのステップとか?
知識がある<<<理解してる<<<発展できる<<<実現できる

情報を持っている程度で慢心してはいけないし、
深く実感できただけで満足してはいけないし、
思索を続けることに終止してはいけない。

価値を形にして、夢物語を実現することが、頭のよさの最終到達地点(ハイエンド)なのだと思う。多分。


・頭の良い人間を見ると、何故俺はああなれないのかと、絶望してしまうが…w
コツコツやっていくしかないのだろう。
知識を得て、やって試して実感して、分析して解明して推理して発展させて…。

・インプットとアウトプットの繰り返しの中で、このステップが進んでいけばいい。


・ところで、俺はもう18年も絵を描いてるので、今更 基礎能力が大きく変化したりはしない。
時々自分でもおおっと眼を惹かれるような絵ができあがるけど
それは「普段より丁寧に描いた」とか「普段あまり描かないアングルで描いた」
といった程度のもので、いわばブレの範囲内である。

可能不可能というよりは、やるかやらないか。
知識はすでにもっていて、それを試してみたら上手くいった(or失敗した)というだけ。

先ほどの論で言うと「知識→実感」の部分。得た知識を実際に試して身体感覚にする作業だ。
この作業を意識的に増やせばもっと成長するかも?と今思った。

色んな画法とか、ツールの使い方とか、色の相性とか、頭のなかにある知識を一度全部実際に試してみる。

「グロー効果ってのがあるよ」
「ブラシをカスタムできるよ」
「肌に緑を若干混ぜるとリアルになるよ」的な細かい技法を全部やってみる。

そうすれば、まぁたぶん失敗もたくさんするけど、
“わかった気になってた知識”がちゃんとした実感に変わってくれるのでは。ステップ一歩前進? にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2015/02/13 21:01 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「娯楽度・利益度・評価度」

・あらゆる趣味を「娯楽度」「利益度」「評価度」の3つで分析できないか。
プラスの場合、「たのしい、為になる、褒められる」を表し、
マイナスの場合「くるしい、損する、貶される」を表す。

・絵という趣味を例にあげよう。

「娯楽度」はC。
ゲームほど楽しさは保障されてないが、ダイエットや筋トレほど実務的すぎることはない。
しかし入口からある程度に行くまでの道のりがキツいのが致命的。

「利益度」はB。
腕による。金銭以外にも、自分で物事をデザインできるメリットもある。
サイトなり壁紙なり、あるいは日常的な小物なりを自分で飾れると便利だ。
作品は後々まで残るし、需要も供給も比較的気軽に出し合い、満たし合える方だろう。

「評価度」はA。
現実ウケは勿論、昨今は特に交流サイトや配信ツールが多い。国内海外も問わない。
パッと見せてすぐ評価される即応性は多くの趣味のなかでも抜きんでている。
もちろん上手くないと評価もされないが、小説と比べると段違いに評価されやすい。


・筋肉トレーニングならどうか?

「娯楽度」はC。
日々の成長や達成感はあるが、それを糧に邁進できる人は多くはない。基本的に苦行。

「利益度」はA。
健康や体力作りは人類普遍の価値。これが羨ましくない人はいない。

「評価度」はB。
しかし、趣味としての評価は意外と高くないと思う。「筋トレが趣味です!」…うーん…なんか引く…w


・TVゲームは?

「娯楽度」はA。
楽しむことに特化した趣味。必要能力のハードルが低く、小さい子供でも楽しめる。

「利益度」は-C。
基本的に金にならず、現実世界での実益が無い。
そればかりか購入資金や課金が財政を圧迫する。ギャンブルならさらにマイナス。

「評価度」はC。
まだ「所詮ゲーム」という風潮は強い。社会的地位の低さがやばい。
さらにジャンルごと、タイトルごとに評価コミュニティが細分化されすぎていて、
「俺○○ってゲーム上手いんだぜ」がなかなか自慢にならない。


・こんな感じだろうか。勿論人によって評価は変わるが、俺にとってはこうだ。

・ちなみに楽音寺がやってる「介護の仕事」をこれにあてはめて考えると
「娯楽度-C」「利益度C」「評価度B」になり、圧倒的にパラメータが低くて泣けるw
「きつくて給料は安い。世間体が若干良いのが取り柄」というね…w にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/12/26 23:31 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「趣味に「醒める」要因」

最近「オタクを引退・卒業しかけている人が集うスレ」という2chの過去ログを読んでいる。
どっかのニュースサイトのリンクで見かけただけのスレだがなかなか興味深い。

タイトル通り、ある日突然趣味に興味を持てなくなった人が集まるスレ。
「スッキリした」という人もいれば「自分が○○に飽きるなんて信じられない、悲しい」という人もいて、
本人が意図しない「飽き」「醒め」が訪れる場合もあることが伺える。

スレで見た、趣味に「醒める」時のだいたいのパターンを列挙してみる。
・変な遊び方をして自らの価値観を崩壊させる
・その行動が社会的に何の意味があるのかを考えだす
・「~しなきゃ」という義務感に囚われる
・年齢と趣味のギャップを感じる
・コミュニティから離れすぎてどうでもよくなる
・コミュニティに近づきすぎて嫌になる
・飽きる
・成果を感じられなくなる
・流行についていけなくなる
・運営や配信元に嫌気がさす
・将来が見える
・現実に疲れて余暇を楽しめなくなる
・気力体力が尽きる
etc

特に「醒め」が顕著だったのは食玩やフィギュアなどの「コレクション系の趣味」である。

「世に配信された物をすべて集める」という果てしなく遠いゴールに対して
「クオリティが低い物も買わなくてはならない」「常に情報を集めなくてはならない」「ボられても泣かない」と
趣味を続ける上でのハードルが非常に高いのだ。
場所も金もとられ、そして殆どの場合社会的価値も低い。理解を得られ辛い。

次にネトゲやスマホゲーなどの「データ育成系の趣味」。
現実世界に形として残らない、というのが最大のネックであり、ふとした拍子に削除すると
金や時間だけが失われてて手元には何もない、という浦島太郎状態になる。


どの場合においても、「その世界限定ではない、普遍的な価値」が蓄積していかないとダメなようだ。
いろんなことに応用できるノウハウであったり、健康であったり、金稼ぎに繋がる技術であったり。
スレを見るかぎりでも「スポーツ」や「ファッション」を趣味にしてる人は醒めるケースが少なかった。

また、その趣味を評価してくれるコミュニティが大きい方が強い。
「コスプレ」よりは「ファッション全般」、
「マイナーなカードゲーム」よりは「囲碁・将棋・麻雀」
の方が評価されやすく、趣味としては長く生き残りやすい。

身も蓋もないまとめ方をすると、「実益」か「大きいコミュニティ」がある趣味は強い、ということになる。
(なんて嫌な結論だろうか!w)


まぁ…もちろん、自分が楽しめる趣味が一番であることは論を俟たないのだが、
興味とか好き嫌いというものは自分でコントロールしづらい。
(たぶん)恋愛と一緒で、それなりに続ける努力なり、将来を見据えた付き合い方なりをしないと
ある日突然、醒めてしまったりするのだろう。

その「ある日突然」に備えて、自分と相談しつつ、じっくり考えていくのが大人というものかもしれない…。
(そんな大人になりたくない、自分はこの趣味と心中する!というのも勿論また一興である) にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/12/26 22:11 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「創作者とは」「投資型の趣味と消費型の趣味」

・夜勤中に考えたこと。
毎日ふつうに暮らしているだけで創作物が排泄されていく。創る行為が自然の営みになっている。
技術の巧拙に関係なく、誰に見せる予定がなくとも、ただただ表現欲求を抑えきれない。
そうした性質を持った人が創作者と呼ばれるんだろうなと、ふと思った。
俺は創作者になれるかな?

・夜勤中に考えたことパート2。
昔は「投資型の趣味」というものにわずかに不信感があった。
つまり、「やるのはツライけど自分磨きになるから/他人に自慢できるからやる」趣味が、不純に思えていた。
ただ楽しくて後には何も残らない消費型の趣味の方が純粋だし、それが本来の形だと思っていた。

今はすこし判らなくなった。
消費型は行き詰まりやすい気がする。アニメにせよゲームにせよ、数年単位で良作が供給されなくなったら辛い。
流行だとか、飽きだとか、嗜好の変化があったときに身動きがとれない。

ただの消費者から評論家方向へシフトして、自分の趣味にあう作品を積極的に蒐集したり、古典を学んだり、
ジャンルを体系立てて理解する方向にもっていけばまだ楽しめるが、同時にエネルギーも使う。
結局、投資型に近い求道者的なやり方になっていく。

「口を開けてエサを待つ雛鳥」のままで生き残るのは結構むずかしいのでは、という気がするのだ…。
とか、まぁ、そんなようなことを、おっさんになった今だからこそ、考えたりしたのでした。まる。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/10/03 15:37 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「おかねほしい」

いまブログに平均で一日45人くらい来る。
月だと1395人くらい。

もし全員から100円貰えたら月給十三万九千五百円。
おお…できるやん。
生活できるやん!w

まぁ「俺のブログ見るたび100円払ってね」っていったら来訪者激減するけどね。
でも凄い。
頭の良い奴ならこの集客力をうまくお金に換算してすでに独立してそう。

うーむ、俺、副業ってしてみたいんだよなー。
できればちゃんと職人っぽいやつ。
転売みたいな叩かれるのじゃないやつ。
株とかみたいなリスキーじゃないやつ。

絵や漫画や小説が売れたら一番嬉しいけどそんなレベルでもないしなー。

でももっと頑張ったらいけるか?
いやいや、かなり遠いっしょ。

や…そりゃ俺の創作は小学生みたいな未熟さだけど、
でも需要はなきにしもあらずじゃね?
世の中なにが売れるかわからんぞ。

「僕の落書き10枚まとめて30円で売ります」
みたいな駄菓子屋商売を数年単位でちまちまやれば
月1000円くらいにはならないかな。

で、タイミングをみて
「200円くれたらどの絵もダウンロードし放題です」みたいなプラン出したり、
「※エロい絵もあります!」という商売に手をだしたりすれば…さらに…w

不労所得ってあると心強いもんね。

もしホームレスになってもネットカフェから更新して月1000円稼げたら相当なもんだよ。
市役所とか図書館とか、タダで使えるパソもあるしね。

あーそれにしても金欲しい。
謎のマニアが俺のおならを100万円で買ってくれないかなぁ。
「こんにちは」って言葉を商標登録して誰かが挨拶するたびに儲けられないかなぁ。無ぇか。無いな。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/07/29 22:19 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「人間と愛玩動物の関係」

・愛玩動物(ペット)についてのニュース記事を見た。

「子供の頃は可愛がって老いたら捨てる飼い主がいる」
「売る側も飼い主も免許制にせよ」
「売れなかったペットを殺処分するな」的な内容。

概ね同意だ。

でも、この手のニュースでもの凄くヒートアップする世間が少し怖い。
「この問題に無関心あるいは否定的な奴はクズ!」的なノリが怖い。

感情的すぎる気がする。
距離を置くために、自分なりに理論武装してみる。



・愛玩動物の生存戦略
生命体は色んな生存戦略を持つ。数を増やす。武力を持つ。擬態する。寄生する。棲み分ける。
そのひとつに「可愛さ」がある。

ほとんどの生物の幼体はかわいい。
可愛さによって保護欲を掻きたて大人に守ってもらう。
その威力は強大で、時には同種でない相手すら操ることがある。

愛玩動物は「可愛さ」をメインの生存戦略に据えた生き物だ。
その世界の強者(人間)を魅了し、身を委ねるのと引き換えに、保護され、繁栄を約束される。

これは植物が蜂を媒介にして花粉を運び受粉するのと似ていて、
花が香りによって虫を誘因し、繁殖するのと同じ要領で
猫は可愛さによって人間を誘因し、繁殖する。

ペットと人間の共生関係は、したたかな彼らの「可愛さ」戦略によって成り立っているのだ。

その視点から見ると、あまり彼らに同情的になりすぎるのも考え物ではないか。

ペットは野生動物に比べて過剰なまでに大事にされている。
一匹一匹のQOL(クオリティ・オブ・ライフ。生活の質)まで取沙汰される生物はなかなかいない。
「可愛さ」戦略はすでに大成功しているではないか。



・「子供の頃は可愛がって老いたら捨てる飼い主」問題について。

人間と愛玩動物を「異なる生存戦略をもった同等の生命」と観察した場合、
「可愛さの提供」と「生活保障」の交換が行われているわけで、
ならば老化して可愛さを提供できなくなった時点で交換は成り立たなくなってしまっている。

ギブ&テイクがギブだけになるのだから、捨てる人間はどうしても増える。
無論、道義的な問題はあるが、現象としては仕方が無い気もする。

あえて冷たい言い方をする。
求心力を失った時が愛玩動物の寿命なのだ。

この問題を、人間側の情だけで解決させようとするのはすこし難しいように思う。



・「売る側も飼い主も免許制にせよ」問題について。

飼育のハードルをあげることは愛玩動物のシェアの縮小に繋がらないか?が気になる。

ペットを飼うための経費や知識は10年前とくらべて明らかに増大していて、
予防接種、検診、去勢、エサ、遊び道具、運動施設…必要なものが増えている。

たとえば昭和の、庭先で適当にイヌを放し飼いにしたり、
寄ってきた猫にエサをやるといったスタイルはほぼ無くなっているはずだ。

無くなってる…。
つまり、ペット自体が確実に減っているということだ。

もちろん一匹ごとの生活の質は向上しているのだから良いことだとは思う。
寿命も延びていることだろう。

でも種全体としてはどっちが繁栄するのだろう?
「この町では昭和のやり方で40世帯がペットを飼っている」
「この町では平成のやり方で5世帯がペットを飼っている」

5世帯しかペットがいない町では、ペットショップは経営が成り立たない。


ペットを〝高級品”にしすぎるのもちょっと問題だと楽音寺は思う。
しかし「もっと気軽に、適当に飼ってもいいんじゃない?」と言うことが、
今の世の中ではできないのである。



・「売れなかったペットを殺処分するな」問題について。

概ねその通りではある。

しかし「平和にのびのび暮らしていた動物を人間のエゴで~」とか
「人間の勝手な都合で殺されてかわいそう」とか

〝野生にいれば幸せだったのに人間に飼われたせいで残酷な目に”という
言い方がされやすいのが気になる。


それはやや的外れで、自然界の方がたぶん残酷さは上だ。

マンボウは3億匹の子を産んで生き残るのは数匹。
犬猫だって10頭近く生むのはザラである。

「大量生産」戦略は非効率的で命を粗末にする残酷な方法だが、
出生率と死亡率のバランスは野生の世界のほうがおそらく悪かろう。

ペットの販売や処分について変に人間批判へ傾くことなく、
「もっと効率的な生産調整をするべき」というクールな論調であるならば理解できる。



・とかく暴走しがちなこの話題。
ヒトと動物たちが末永く共生していく未来のためにも、
冷静で落ち着いた議論を行いたいものだね。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/07/21 20:58 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「知識と経験、どっちが大事か」

★★★
知識を活かすのは想像力
体験を活かすのは観察力
★★★

あなたは無人島でサバイバルをしなくてはいけなくなった。執行猶予は六時間。
それまでのあいだふたりのコーチが生存術を指導してくれる。

Aは知識派。教科書や図鑑や地図を用いて、懇切丁寧に時間が許す限りの知識をあなたに叩き込んでくれる。
「無人島でまず最初にすべきことは」「優先順位は」「仮住居の作り方」
「水を得る方法」「火を起こすには」「安全な食べ物の探し方は」「怪我や病気の対処法は」…。

Bは体験派。彼は「俺の行動を見て盗め!」と言ったきり、どんどん崖や森へと歩いていってしまう。
あなたはあわてて追うが勿論うまくいかない。見失って迷って散々な目に遭う。
食料の選び方を聞く。「自分でその辺の草を食べてみな」。勿論腹を壊す。
彼は笑いながら言う。「失敗したほうが身にしみてわかるだろ?」
あなたはもう二度とその草は食うまいと誓うが、結局ほとんど何も分からないまま時間切れになってしまう…。

さぁ、あなたならAとB、どちらから学びたい?

ちょっとアンフェアかもしれないが、こういう風に設問された場合、大抵の人がAを選ぶと思う。

体験からは、実感を伴った深い学びが得られる。しかしリスクが高い。時間効率も悪い。
知識からは、「広く浅く」といった学びが得られる。リスクは低い。時間効率は良い。

この設問は特に「いますぐ必要な情報がたくさんある」「時間が限られてる」という点を強調してあるので、
必然的に広く浅い知識が求められるというわけだ。


しかし、このような仮定にかぎらずとも、我々は常に「寿命」という時間制限を抱えている。
なるべく時間効率の良い方法で情報を得たほうが賢いのではないかと楽音寺は思うのだけど、いかがだろうか。

現代社会では知識を得る方法はどんどん進歩している。
対して、体験を得る方法は原始的なままだ。

情報の摂取法としてより洗練されているのはどちらか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉通り、やはり知識のほうが大事なのではないだろうか…。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/07/08 11:00 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「徹底討論!接近戦で、銃とナイフどっちが強い」後編

泥仕合はもうちょっとだけ続くんじゃ。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/07/06 21:13 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「徹底討論!接近戦で、銃とナイフどっちが強い」前編

友人とのメールから転載。三十路まぢかの男達による泥仕合をお楽しみください。
「ぼくのかんがえたさいきょうの戦い方」みたいな話ですw
しかもこの二人、べつにミリタリ系の知識はありません。だいたい妄想です。それをギャグとして笑える方は↓どうぞ にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/07/06 21:12 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「何かに興味をもつためには知性が要る」「俺は何枚描いてきた?」他

日々考えた徒然な思考のメモ。

・何かに興味をもつためには知性が要る。
積極的に楽しむことをすれば、世界はとても深くて楽しい。
退屈するのは自分が悪いからだと思わねば。

・消費者になってはいけない。
〝面白い作品”というエサをただ口を開けて待つ雛鳥になってはいけない。
そういう人間はいずれ精神的に餓死してしまう。

・ベクトルを集中させるんだ。
早いうちから自分のやりたい事を確定できた者は幸せだ。
見つからないうちにずるずる大人になると大変だ。

・練習とは、回数である。
柔道漫画「からん」でも打ち込み回数がイコール技の威力だって言ってた。
「マンガで分かる心療内科」でもプロのアマの違いは練習量だって言ってた。
才能がーとか、効率がーとかを云々する前に、まず回数をこなすことが大事っぽい。

・俺は何枚描いてきた?
小五(10さい)くらいから描き始めて18年。たぶん平均月10枚も描いてない。
18年=216ヶ月×10=2160枚…も、描いてない。

ええええええ…wこんなに少ないのか…w
え?ちょっとまってマジで?
だって今までの落書きノートだけでも30冊くらいは…一冊50頁として…

…うわ、計算したら確かにこれくらいかも。

うっわー…まーじかー…なんだよ2000枚ちょっとって…
そんなん人によっては半月かからんぞ…
俺の18年は薄すぎる…w にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/06/20 03:57 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「世間的評価って怖いね、という話」

日々考えた徒然な思考のメモ。

・格闘ゲームの紹介番組をみて思った。
「既に評価されてるものしか評価しない」という人がけっこういる。
もうコミュニティが築かれていて、賞賛してくれる土壌がある分野にしか興味ない人がいる。

そういう人への物の売り方。
「海外で大人気ですよ」「タレントの○○さんもやってますよ」
「TVでも紹介されてましたよ」
「これのイベントには何万人も集まって、それに出られるのは栄誉なことなんですよ」etc。

作品、スポーツ、ホビー、宗教…どれでも同じだ。

こういう評価基準の人は〝それそのもの”が好きなわけじゃないのだ。
後から流行に乗ったにわかファンみたいなものだ。
だから流行る以前の、社会的地位がない状態の〝それ”にはまったく興味を持たなかったのだ。

…別に倫理的に良し悪しがあるわけじゃないけど、俺は厭だな。〝そういう人”。



・上記の現象は、意外と無意識のうちに自分もやってしまいそうだ。
たとえばアニメの一話を見て、まだ自分なりの評価が固まってない状態で掲示板を見たとき。

そこで「○○が良かったよな」「今季ナンバーワン!」「斬新だ」と書かれていれば
自分もそう思えてくる。賞賛する。皆の評価に流される。

しかし逆に「ありがち」「判りづらい」「意外としょぼかった」とか書かれていると、
自分もそう思えてくる。貶める。皆の評価に流される。



・思考能力や審美眼が弱い人ほどそうなる。
弱いから、影響を受けやすい。

自分でその作品のポイントを掴めてないから、他人から「このアニメの良かった点」を
教えてもらうことで初めて「そうだったのかー!」となって好きになるし、
逆に他人から「このアニメの駄目な点」を指摘されて「言われてみれば…」となって嫌いになる。

どうしたことか、その大勢に流されていく流れに、本人は気付けない。
まるで自分は最初からその意見を持っていた、気付いていたという風にふるまってしまう。


・そうして染められた「意志が弱い人」は、議論に負けそうになると
「わかってないな、○○がダメなのは常識だろ」とか
「みんなそう言ってるよ。お前もあの掲示板みてこいよ」とか言い出す。

ちゃんとした根拠があって評価しているのではなく、
空気に流されて評価を決めているからこそ
自分のコミュニティに相手を引き込みたがるのだ。

群の力で相手を押し流してやろうという意図が見える。

宗教の勧誘などもこの手のやり方が多い。
「理屈ではなく場の空気で勝つ」をやりたいから
「セミナーに来てよ」とか「誰々に会ってみて」とか言うのだ。


・これは(特にネットにその傾向が強いものの)社会全体に言えることかもしれない。
「既に評価されてるものしか評価しない」。
「既に叩かれてるものを全力で叩く」。
「理屈ではなく場の空気で勝つ」。

…〝群”の論理だね。
楽音寺はこういうやり方に飲み込まれないでいたい。とても難しいことだけれど。 にほんブログ村 イラストブログ イラスト練習へ
[ 2014/06/15 19:43 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)

徒然メモ。「自己洗脳力について」

生きるのに必要なのは思い込みの力だ。自己洗脳力だ。

スポーツ選手は脳内物質を分泌しやすくするために
自分を〝感動屋”にするらしい。
メシをみれば「うまそう!」「うまい!」「うまかった!」を忘れない。
それが競技の際には「俺ならできる!」「いけ!」「やった!成功した!」に変わる。
思い切りがよくなり自信がつく。ネガティブさが消え、成功体験を覚える。

俺もそうする。そうしてる。
だからこのブログも「うまい!」「おもしろかった!」「すばらしい!」が多いのであるw

「俺は天才だ」もよく言っちゃうけど…許してねw


キャラクターもそうじゃないか?
わざとイライラした素振りを皆に見せたり、気まぐれにふるまったり。
頭の良い人間は道化的に極端に振舞う。自己演出。自己洗脳。

天才は自分の器のコントロールも忘れない、ということか。

逆に、自己コントロールがヘタな人間もいる。
ナイーブ系不良やメンヘラってそうだ。
「こういう自分になりたい」って突飛な行動や乱暴な言葉を使って
結果、自分を傷つけたりする。

言葉には自分自身が一番影響を受ける。
心のなかの内なる言葉であっても汚い語彙を使わないほうがいい。
楽音寺は…創作の中でだけそれを許してる、の、かな。
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[ 2014/04/26 21:59 ] 雑文 徒然メモ | TB(0) | CM(0)