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殺人鬼デイの人間カルテ~母親失格編~

★★★

殺人鬼デイの人間カルテ~母親失格編~は“九マイルは遠すぎる”形式のお話です。

休日のデイが占い師のところに遊びに行きます。
外は晴れ。医院を出るときに赤ん坊を抱いた女とすれ違って、がたんと音がします。

与えられる情報は、それだけです。

★★★



よく晴れた休日に、気の会う仲間とおしゃべりを。


-1-

占いというものについて、君は懐疑的なようだから…どら、ひとつ実演してみせようか。
そのすれ違った彼女について言い当ててみせよう。


たとえば…そうだね、まず彼女がこのビルに来た目的について。

彼女は君の堕胎医院を訪れた客だった、というのはどうだろう。

まさか?いやいや、ありえない話じゃないだろう。


まずここは5Fで、君の医院は4Fだ。

君は朝、ここへ向かうためにエレベーターを使っただろう?

そして君が降りてすぐ無人のエレベーターはいちど4Fへ向かい、今もまだ一階から戻らない。

誰がエレベーターに乗ったんだろう?
利用されたタイムラグを考えるに、まちがいなく彼女だ。

つまり彼女は、4Fで君とすれ違ってから何処にもいかずに、まっすぐ外へ出たんだ。
考えられる目的地は堕胎医院だけ。


だけど堕胎医院はザンネンながらお休みだった。無駄足だね。

ドッと疲れが出て、嫌な気分が彼女を襲った。
君も朝、うっかり種類の違うゴミを収集所に持っていってしまったことがあるだろう?

どうしてこんな、憎たらしいゴミなんかをまた苦労して持ち帰らなくちゃいけないんだろう――。
まだまだ家事や仕事は沢山あるのに――。

そう思うのは自然なことだ。
だから彼女も、つい、手に抱えた重たい荷物をその場に放り捨ててしまった、としたら?


重たい荷物――そう、赤ん坊を、だよ。


「がたん」の音は新聞じゃない。今日は休刊日だ。だいたい共同ポストなら一階にあり、音は届かない。
彼女しか君の医院のポストを開けられる人はいない。そして、手荷物は他にない…。


ひどい!堕胎医院に、もう生まれた赤ん坊を捨てるなんて…!って顔だね。
珍しく怒っているじゃないか。
そうだね、そんな無責任な母親、とっつかまえて説教してやりたいよね。


大丈夫、彼女はきっとまたすぐ来る。

なぜそんなことが分かるかって?

そりゃあ君、タロットのお導きさ――なーんて。
ふふ、すこしは占いに興味がわいてきたようだね。


君もいっただろ、堕胎医院に来たからには堕胎してほしかったのさ。赤ん坊とは別に、お腹にまだいるんだよ。



-2-


彼女が育児ノイローゼだった、と推理してみよう。
材料はいくらでもある。

どうして堕胎医院を訪れるのに赤子を抱えていたのか?

普通はお腹の子をおろすのに別の子供を連れてこないだろう…教育に悪すぎる!

普通なら子供は父親をはじめとする協力者が預ってくれるべきなんだよ。

そう…“ふつう”ならね。


彼女、長袖のセーターだったろ?
ふふ、そんなにびっくりするなよ。

周囲に妊娠を隠すのにうってつけで、夫からの暴力の跡を隠すのにも便利な、そんな衣服を適当に言ってみただけさ。


…。

彼女には味方がいなかった。
夫は暴れるばかりで、親類や隣近所もアテにならず、ベビーシッターに預ける金もない。

そんな状況でもないかぎり、堕胎病院には子連れで来ない。



孤立無援で子育てを始めて、ほとほと疲れて、なのに二人目まで出来て。
どうしょうもなく困ってしょうがなく堕胎してもらおうと此処にきて、それなのにあいにくの休業日で。


すべてが嫌になったノイローゼの彼女は思わず、手に持った荷物をおろしてしまったんだよ。

そして明日は何食わぬ顔をして、腹に抱えた荷物も“おろし”にくる。



おぞましい推理かい?

だけど人間というものはそんなものだと私は思うよ。

一度嫌になったら何もかも放り出したくなる。
“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”ってやつでさ。
結果、ゴミの日じゃなくてもそこにゴミを捨ててしまうんだ。

……。
はっはっは、あわてて確認しにいっちゃったね。デイはかわいいなぁ。



おや戻ってきた。

全然ちがった?
「がたん」は彼女が転んだ音で、そもそも道に迷ってこのビルに入り込んだだけの無関係な人だったって?
ふふ、それは残念――たのむから怒らないでくれよ。当たるも八卦、当たらぬも八卦さ。


君、占いというものはこんな風に、机上の空論で現実の人を動かす、架空のエネルギーのことを指すんじゃないか。


まぁ何もなかったのなら万々歳だ。そこの椅子にかけなよ。

……?あれ?なんだかひどく濡れてるね。
ずぶ濡れじゃないか。
さっきまで晴れていたのに、にわか雨にでも降られたのかい?


-3-



…ところでね、デイ。

わたしは偶に、数年来の友人である君について、占ってみることがあるんだよ。

だけどいつもタロットが導き出す結果は“死神”なんだ。


私にだけは嘘をつかないで欲しい。君は、本当は――


人殺しの化け物なのじゃないかい。



…。

……。


「そうね、たしかに私は毎月何人もの胎児を殺しているわ」だって?

…。……ふ、ふふ…は、ははははははっ!!

ず、ズルいよ!その答えは、くふ、ふふふっ…。

そうじゃなくてさ、わたしが聞きたいのはさ……。


なんだ、もう帰るのかい。
まぁいいさ。
また気が向いたらここにおいで。お互い死ぬまでの暇つぶしだ。楽しく楽しく話をしよう。


占いの報酬はいつもの化粧水でいいよ。
1Fの若い花屋さんや、2Fのバーのマスターと同じように、私もあの、
肌に深く染みこむような、魂を磨かれる気がするような、甘くて少し死の味がする、魔性の水のファンなんだ…。


それじゃ、デイ。罪深い君にも、運命の女神のご加護がありますように。




-4-


(まったく、よく喋る友人だわ…。
あれじゃ威厳もなにもあったものじゃない。占い師としては失格じゃないかしら)


軽薄な、占い師失格の友人。
無責任な、母親失格の彼女。
嘘つきな、人間失格のこの私。

私達はお互いに、誰かを責める資格なんて、これっぽちも持ち合わせていないのだけど…。



デイは、苦笑し、医院の玄関脇のポストを開ける。

とたんに響く無垢な歌声。


おぎゃあ。おぎゃあ。おぎゃあ――


…さて、この“忘れ物”、一体どうしよう?


《了》
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殺人鬼デイの人間カルテ~“胎児の夢”編~

※読む上で必要な前知識。斬った物を水に換える化け物のお話です。彼女は化け物ですが人間よりはマシでしょう。




遠く、夜汽車の音がたなびく街のバーで、仕事帰りの一杯を。

-Ⅰ-

黒衣にハイヒールの堕胎医院の女医はその夜、2Fのバーで酒を飲んでいた。
棚には古今東西の酒。
照明は火のついた赤いキャンドル。
渋い樫の木の床は踏めば軋りと音が鳴る。

薄暗く、魔界めいた、そんな場所がバー《COGITO》である。
3人程度しか座れぬ狭い店の一番奥の椅子にしなだれ、女はグラスの淵を細い指でなぞる。
サングラスを掛けたマスターはいつまでも帰らぬその客にもさして迷惑そうにしない。

「《コギト・エルゴ・スム》…我思うゆえに我あり、よね」
「ああ?」
「店名のこと…ちょっと古臭いセンスのね」

灰色髪(ロマンス・グレー)のマスターは苦笑して「うるせぇ」とだけ返した。
「ふふ」女医はすでに酔っていて絡み酒になっている。「ごめん、怒らないで」

「夢みたいに面白い話、聞かせてあげるからさ…」

「俺は…悪趣味なのは好かん。一階(した)の花屋のボウズにでも話してやんな」

「貴方に聞いて欲しいのよ」

どきりとした。彼女はいつもまっすぐに目を見つめる。男は皆これにやられるのだ。
決して短くない人生の艱難辛苦を味わって、海千山千の女たちとの恋を経験したマスターでさえも。

マスターは無言で彼女の前にナッツの満ちた皿を置いて(サービスだ)ため息まじりにちいさく呟いた。
「…で?なんだって」

「あはっ!好きよマスター。
…で、この夢の話はね、“彼”のこんな第一声から始まるの──」


-Ⅱ-


「…し、七人? みんな妊娠してるの?父親は?」

「恥ずかしながら全員僕です」

「……」

「はは、やだなぁ、そんな眼で見ないで下さいよ。純粋な恋愛の結果なんですから」

「後ろの女の子たちも皆“そんな眼”で貴方を見ているようだけど…」

「ちょっと不機嫌なだけですよ。きっとお腹でもすいてるんでしょう。
ねぇみんな?僕に文句がある人はいるー?」


夕陽に照らされた堕胎医院のロビーには、学生服の少年と、七人の彼女──年齢も職業もバラバラの──彼女たちがいた。

幼女、放課後の女子高生、仕事帰りのOL、久しぶりに家を出た引き篭もりの娘。
少年の担任らしき女教師。安息日のシスター。髪をピンクに染めたバンド少女。

全員が一様に不満げに、しかしまるで少年に嫌われる事を恐れているかのように言葉を飲み込んでいる。


「ほら、みんな文句は無いみたいですよ。さぁ堕胎してください。無料なんですよね?」

「…一回目だけは、理由を問わず、報酬もなしよ」

「ああよかった。僕、見ての通り中学生なんで、七人分の中絶費用なんか払えませんもの。
今月は好きなアーティストのCDも買っちゃいましたしねぇ」
「……」

彼女は普段、決して命の大切さを謳うモラリストではない。
が、流石に少年の派手すぎる所業は眼に余った。
デイは問う。

「──何で子供なんて作ったの?」

「まぁ快感の副産物ですよね」

「なっ」

「って言うか産業廃棄物?」

「……」

「ヒニンするの嫌いなんですよー」

「…ふざけないで。命をなんだと思ってるの」

「おっと。いきなり直球ですか」

「当たり前じゃない。胎児だって人間なのよ?生きてるのよ?殺されたら痛いのよ!?」


黒衣の女医にきつく詰め寄られても退くことなく、学生服の少年は夕陽に眼を細めて笑う。
異様な台詞を口にする。


「ふ──胎児に人権なんか、ありませんよ。

あんな不愉快で、おぞましく、弱弱しい人間未満の存在は、殺されたって文句は言えないんです」



-Ⅲ-


「学校で習ったんですけどねー」

「江戸時代には、子供に魂が宿るのは7つになってからだと言われていたそうですよ」

「当時子供は死に易く、あの世とこの世をふらふら行き来する虚ろな存在でしたから」

「七つになるまでは事故死も病死も「しかたない」で済まされ、捨てるも間引くも親の自由だったそうです」

「僕もその思想には賛成でしてね」


「え、子供にだって意思がある、ですって?我思う故に我あり?」

「はは。だから何です? その“我”をきちんと主張できなきゃ何の意味もないですよ」


「声も出せない、自分で自分を護れない生き物なんて、他人にいいようにされてしまって当然でしょう」


「別に胎児に限った話じゃないでしょう?」

「世界の何処にいっても、誰かが声高に愛や人権を主張しても、結局はそういう事でしょう?」



「幸い僕は、女子供には強かったので」

「この七人を玩具にしてたくさん遊びました。子供はいらないから殺して下さい。それでいいんです」

「“強者は弱者を好きにしてもいい”ってこの世界が叫ぶから、僕もそれに従ってみただけなんですよ」



-Ⅳ-


吐き気のするような話が終わって、夕暮れが訪れた医院の窓外は血のように不気味なオレンジ色だった。
険しい表情の女医はテーブルの上の書類に羽ペンを走らせて嘆息する。

「……言い訳はもう済んだのかしら?」

「えへ、すみません、長々と語ってしまって。中学生日記みたいでしたねぇ」

「個人的な意見だけど、あなたのような餓鬼は大ッッ嫌いだわ」

「そうですか。僕は女医さんみたいな人、好きですよ」

頭痛がする。



「ところで…“自分で自分を護れない生き物”なんて言っていたけど、あなた自身はどうなの?」

「僕?」

「あなただって大人に護られているのよ」

「…はは、そうですね。僕だってまだ中学生で、親の庇護下にいますからね。
まぁ、両親が僕を捨てたいというならそうすればいいし、僕をこのまま育てたいというなら好きにすればいいです。親の自由です」


僕はこの世に生まれたくもありませんでしたがね、と、学生服の少年は少しだけ皮肉げに呟いた。
そう、とだけ黒衣の彼女は返した。



「…じゃぁ、ここにサインを頂戴」
「はーい」


素直に返事をして少年は渡された鴉の羽のペンを握る。

…。

……。

「あれ」

書類に向かったまま、不意に不思議そうに首を傾げる少年。


「じょ……女医さん……僕って、何て名前でしたっけ」


「何でも好きな名前を書いていいわよ」

「い、いや、そうじゃなくて…あれ、おかしいですね…」

「何も可笑しくはないわ」黒衣を翻して女医が椅子から立ち上がる。


「あなたにはまだ名前がつけられていないんだもの。着床して五ヶ月目の胎児くん」


「え?」

手元の紙には七人分の中絶申請――ではなく、たった一人分の項目と、両親の名前。

振り返る。彼女たちはドロドロと溶けてゆく途中。

医院の窓の外は血のようなオレンジ。

太陽と思われた赤色は、奇妙に膨らんで萎んで、まるで何かの胎内のような――。




「え?え?え?」

「胎児はお母さんのお腹のなかで36億年の夢を見ると言うわ。

あなたにはそれにプラスして13年分の夢を見てもらったの」


「?、?、????」


「中絶を悩んでいたご両親の希望でね。

『できることなら本人の意見も聞いてみたい』って…私はそれもどうかと思うけど、有無を言わさぬあなたよりは良心的かもね」


「――――――――――――――――――――」


「あら、言葉も忘れちゃったの?
それとも思い出したの?
自分が世界に手も足もでない赤ちゃんだってこと。

さて、それじゃそろそろ中絶を始めましょうか」



「――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



「胎内で私の催眠術に易々と掛かってくれて、素直に夢を現実だと信じこんで――

将来あんなクズ野郎に育つことを自ら示唆してくれて――

悩んでいたご両親の背を押してあげて――

いい子ね。

あとは私が面倒みてあげるから――ゆっくり、お休みなさい」



いつのまにか少年の体はどんどん小さくなっていって、落ちた学生服の海のなかで泳ぐようにして藻搔く胎児になっていた。

へその緒が長々とうねり、のたうち、医院の床の途中にくっ付いている。胎盤…?

風景が歪む。部屋には液体が満ちている。

――この部屋は子宮だ。

重い目蓋をこじあけ、手足を蠢かし、ぱくぱくと慌しく呼吸するが羊水が咽喉を通り過ぎてゆくばかりだ。

叫べない。
声も出せない。
…逃げられない!

女医はハイヒールをコツ、コツと響かせながら近づく。
その透き通るような白い指先に、化け物の触手じみた動きをする汚泥の刃が煌いた。



-Ⅴ-



「おしまい…どうだった?」

遠くで夜汽車の音が鳴る。
キャンドルの火を瞳に宿して女がにやにやと笑う。
マスターはこれ以上無いというほど渋い顔でウィスキーのグラスを傾け、一気に飲み干した。

だん、とカウンターに叩きつけて、一言。
「――やっぱり悪趣味な話だったじゃねぇか!」

「あははははw」童女のようにけらけら転げる女医である。

「俺はホラーだのオカルトだのって話が大っ嫌いなんだよ…!くそ、今夜はどうやってトイレにいけばいいんだ…!」

「一緒にいってあげようか?」

「結構だ」

きっぱりと断ってマスターはサングラスをかけ直す。不機嫌そうだ。

「だいたいその話、お前さんがまるで化け物みたいに語られてやがる。
腹のなかの胎児に催眠術だぁ?指から刃を出して切り裂くだぁ?

誰がそんな化け物と一緒にトイレに行くかよ!?

…まったく…どうせまたお前さんお得意のホラ吹きなんだろうけどさ」


「ふふ、本当かもよ?」悪戯っぽく、女医。

「冗談じゃない――化け物なんざ夢の中の話だけで十分だよ」


そうね、といった彼女の声に幾らかの哀しみが含まれていることをマスターは知らない。



「…マスター、あと一杯だけ飲みたいわ…この水で何かカクテルを作ってくれる?」

「ああ?何だこりゃ、ミネラルウォーターか?」

「うん、そんな感じ」


悪趣味といえばそれが最も悪趣味な…最後のカクテルを注文した女医は、

出来上がるのを待つあいだ、カウンターに頬をつけて夜汽車の音に耳を澄ます。

とても心地よくて眠ってしまいそうだし例え眠ったとしてもマスターは怒らない。

素敵な場所だった。



嫌な“仕事”の帰り道にはこうして2Fのバーで束の間の夢をみるのが、今のところ彼女の一番の楽しみである。



《了》

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殺人鬼デイの人間カルテ~雨傘編~

※読む上で必要な前知識。斬った物を水に換える化け物のお話です。彼女が語っている病名は実在しません。



雨があがって。

-Ⅰ-


堕胎医院の暗い窓ガラスの外を見ながら、医院の主である女は物憂げに呟く。
「梅雨は嫌よね。毎日じとじとジメジメして、洗濯物も乾きやしないんだもの」

普段はそのビルの1階の花屋を経営している客人が明るくそれに答える。
「へへ…そんな人間みたいな愚痴、どうせ本心からの台詞じゃないでしょ?洗濯なんかしないデイちゃん」

眉毛をあげて、ばれたか、といった表情で可愛らしく女は微笑み、コーヒーを一口。
「まぁね。なんとなく文句を言いたくなっただけ。雨は好きよ。汚いものを洗い流してくれるから」

待ち受け室のソファにだらしなく腰掛けた花屋の青年は、そばにあったぬいぐるみを抱く。
「そ。雨は恵みだよ。人にも獣にも植物にもね。そしてもちろん君みたいな汚物にも」

ごあいさつね、と女はさして気分を害した様子もなく、暗闇に反射するガラス越しに視線を送る。
「そんないじわるを言うなら今日はお話を聞かせてあげないわよ、《ヴァイネヤード》?」

そりゃないよ、と年齢不詳の花屋の青年がにわかに慌てた表情をみせて、がばっと体を起こす。
「じょ、冗談さ!君のお話は僕が育ててる植物たちの情操教育にとってもいいんだ。
それに、僕自身も楽しみにしてるんだよ」



──しとしと。


──ぽとり。


──しとしと。


水の音のなか、女はしばらく沈黙してから、静かに語りだす。


「あなた、《唐傘おばけ》って知ってる?
そうそれ。お化け屋敷とか昔の絵巻物なんかに出てくる、あの一つ目で、べろをだした妖怪。

私がそれと出会って、戦って、取り憑かれてしまったときのことを話しましょうか。

え?
そんなものいるはずがない、うそっぱちだ?
ふふ。まぁそう言わずに最後まで聞いてちょうだい。事の発端はまず彼女のこんな一言だったわ──」



-Ⅱ-


「堕ろせ、と言われました」

「? だれに?」

「……おばけに、です」

「…悪いんだけどウチは堕胎専門の医院なの。3丁目の神宮寺に行けば?
そこなら化け物退治も水子供養もやってくれるわよ」

「いやあの、そうじゃなくて!
…つまり《子供を堕ろせ》って内容の、おばけみたいな声をした幻聴が聞こえるんです」

「あー…はいはい、つまり貴女はメンヘラさんなのね?」

「あう…まぁ…そうです」

「声優さんだっけ」

「あ、はい。田舎から上京してきて頑張って夢を叶えました。
深夜のアニメとかに出演させてもらってます。
最近、マネージャーと結婚することも決まりまして…えへへ。
ラジオでも子供が生まれることをお知らせして、しばらく活動を休止する旨を伝えました。
ほとんどのファンの方からも声援を頂いて、ママとしてこれからがんばるぞ、って所だったんですが…」

「変な幻聴に悩まされて辛い、と」

「はい…」

「むー…貴女の症例は、実はそう珍しい物ではないのよ。
受胎にともなう鬱、マタニティブルーの一種ね。
子供を宿した母親の情緒不安定な精神はときに奇妙な幻覚・幻聴をうみだすことがあるの。
例えば《おなかの中の子供が自分に命令する》“させられ妄想”という症例」

「そ、そんな病気があるんですか?」

「ええ。特に妊娠初期の人が陥りやすいみたいね。
《おなかの中にいるのは子供じゃなくて悪魔だ》と思い込む“マニトウ・ベイビィ”。
《この子をこのまま宿していたら体を乗っ取られて死んでしまう》気がする“寄生恐怖症”。
後者にいくほど深刻で、妊婦がハサミで自分のお腹を切り裂いたりもするの。
みなが思っている以上に体内に異物を抱え込むことの負担ってやつは大きいのよ」

「……」

「それが幻聴だと判っていても、そのあまりの辛さに堕胎を選ぶ人もいるわ」

「…………っ」

「一度目なら無料でいいわよ。ただし二度目はない。それがウチのルール。
さぁ、貴女はどうする?どうしたい?」


-Ⅲ-


「で、堕ろしたのっ?」

「んーん、私の刃(メス)は1mmたりとも彼女に触れてないわ」

「…って、ええええええっ!!??堕ろしてないのっ!?」

「うん。普通に思いとどまった」

「えー、じゃぁこの話ハッピーエンドじゃん!
変な妄想に取り付かれたけどぎりぎりの所で我が子を犠牲にしなかった母親の美談じゃん!
あーあーやだなーそういうの聞きたくなかったなー。
僕がそういう道徳の授業みたいな話大っっ嫌いなの知ってるでしょおー?」

「ふふ。凄く不満そうね、《ヴァイネヤード》」

「不満だよ!もーさー、僕はさー、人間の汚くて腐った所が見たいんだよね。
血と肉と汚辱!腐敗!妥協に怠惰に堕落!
腐葉土といっしょでさ、そういうのが絶望のエデンではいい肥やしになるんだよ、わかるっ!?」

「はいはい、わかってるわよ。そう興奮しないで…続きがあるの」

「つづき?」

「最初に私が言ったこと、もう忘れたのかしら」

──しとしと。

──ぽとり。

──しとしと。

「《おばけ》は妄想じゃなかったのよ。
私も実際に出逢って、この目で見て、この耳で聞いて──そして戦った」



-Ⅳ-


声優さんを見送るために医院の待合室をでて、錆びた鉄の、不気味に軋む階段を降りたわ。
その夜もちょうどこんな風に雨が降っていた。

やけに濡れてぬるぬるして滑るし、風も吹いていたから、足元に注意して段を降りなきゃいけなかった。
わたしは慣れているけれど、かすかにお腹の膨らんだ彼女は歩きにくそうで。
手を握ってあげたことを覚えてる。

2人で下まで降りて、ビルとビルの隙間の、ちょっとした土の地面に足を着けたときに、
彼女は嬉しそうに笑ってありがとうって言ってくれた。
通りに向かう道以外の三方がビルに囲まれた狭い世界。
ふたりで横にならぶ事すらできなくて肩を斜めにして互いの体を密着させて。手を繋いだ状態で。
四角い空から月明かりがふんわりと落ちてくるような夜だった。

「ありがとう…手を繋いでくれて。それと、話を聞いてくれてありがとう…。
笑わないでくれて、ありがとう」

そう微笑んだ。


彼女はもう母親の顔になっていたから、私は(もう大丈夫ね)となんとなく思ったりした。



でもね。

その嬉しそうな彼女の顔に、ぽたっと水滴がひとつ落ちたのを最後に。

不意に雨が止んだの。

奇妙に感じたんでしょうね、彼女が空を見上げると──


堕ろせ


──月明かりを遮るようにして、黒いお化けが、いつの間にか私達の頭上にいたの。


真っ暗で正体は見えない。

だけど骨と皮だけの、蝙蝠の羽みたいな──いいえ、《傘》みたいな六角形の皮膜が広がっていて。

その中心で一つ目がきらりと赤く光っていた。

荒い鼻息と、獣じみた匂い。
頬にぽたりと落ちた液体は、そいつのだらしなく開いた口から落ちたものだったわ。


つまり、“唾液”ね。

あまりの気持ち悪さに彼女が悲鳴をあげて飛びのくと、《唐傘おばけ》は
六角形の羽を広げてビルの壁面を登っていった。
そう…蛇かナメクジみたいな動き。
動いた跡にはぬらぬらとした粘液まで残っていて、さすがの私も首筋がぞわぞわしちゃった。
なに笑ってるの。悪い?


…すぐに彼女に逃げなさいと怒鳴って、屋上へ向かったわ。

月光に照らされたコンクリートの、雨の篠つくビルの屋上は無人で、四方に張られたフェンスが檻みたいだった。
雲に隠れた月。遠くの山の影。周囲の建物の広告看板。耳をすませば夜汽車の音。
そんな場所で、檻のすみっこにうずくまっていた《唐傘おばけ》を、
私ははじめて月明かりの下に認めたの。

それは──



-Ⅴ-


「…っ!! あなた…人間ね」


……。


「ふふ、幽霊の正体みたりストーカー…なんて洒落にもならないわね。
だけど確かに、紛れもなくこれは現代社会の《おばけ》だわ。
まさか彼女もレインコートを着た浮浪者風の男が肩に機械を担いで頭上から自分を盗撮してるなんて
思いもしなかったでしょうしね…妄想でも幻聴でもなく…」


堕ろせ


「《傘》はお手製の集音マイクのおおきな反射器(パラボラ)で、
《赤い一つ目》はカメラのレンズ。
なるほど、声優をしてる彼女の声や姿をあますとこなく記録したかったってわけ?」


堕ろせよ…結婚とかふざけんなよ…


「偶像(アイドル)が自分の気に入らないことをしたら殺したくなる…
そうした偏執的なファン心理もまた、妊婦のストレスと同じくらいの人間の精神の闇、か」


!! 近付くな


「あらあら、ごついサバイバルナイフなんか振りかざしちゃって。
彼女がここで子供を堕胎しなかったら貴方がそれを腹に突き立ててやるつもりだったのかしら?
忠告してあげるけど、貴方わりとハンサムなんだからそれでヒゲでも剃って綺麗にしたほうがマシよ」


…なんで

「ん?」

なんで堕ろさなかった



お前は傷ものこさず堕胎できると評判の闇医者だろ
お前が手術してあげれば彼女は苦しまずにすんだのに
お前のせいで彼女は育てたくもない子供を育てる決心をしちまったんだ
彼女は俺の子を育てたいに決まってるのに
彼女は本当は俺を愛してるのに
彼女は
俺の


お前が──お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!お前が!

俺達の邪魔をしてるんだ!




「…ふふ」

わ──笑うな。なぜ笑う

「あなたの世界が狭すぎて滑稽だからよ。まるで子供ね。羊水に浮かんだままの胎児」

こども…?

「嫌なことがあれば誰かの所為。都合が悪けりゃ他人が悪い。
こどもみたいに泣いてりゃすむと思っている、その幼さを笑ったのよ。
彼女が結婚したのも誰かのせい?
堕胎しなかったのも?
この雨が降っているのも誰かのせいだっていうの?」

う…ううう…うるさ…ちか、近寄るな


「誰にだって雨は降るの。
声優の彼女だって冷たい雨にも運命(さだめ)にも負けずに生きているのよ。

貴方も男なら──
遠巻きに眺めてるだけじゃなく、好きな人を雨から護るための、《傘》になれる人間を目指しなさい!」


ひっ…う…ああああああっ!!!??








──ぱしゃぁぁああん…







「さよなら《唐傘おばけ》。

生まれ変わったら次は正常(まとも)な人間になれるといいわね」




──しとしと。


──ぽとり。


──しとしと。





-Ⅵ-


 
堕胎医院の暗い窓ガラスの外を見ながら、医院の主である女は物憂げに呟く。
「で、この話はおしまい。声優の彼女はいまも元気に活動してるそうよ」

普段はそのビルの1階の花屋を経営している客人が明るくそれに答える。
「ぱちぱちぱち。面白かったよ!やっぱ異常(ヘン)なやつはちゃんとぶっ殺されなきゃね」

「ええ…だけどちょっと困ったことになっちゃって」
「わお、なになに?他人の不幸だいすき!」
「《おばけ》に取り憑かれちゃったのよ…」

「え?」

「ストーカーの彼、ほんとに生まれ変わって私のところに復讐しに来たのよ。ついさっき」
「えええっ!?」

「5歳児くらいの姿だったけどすぐに判ったわ。
レインコートに盗撮カメラ。あの時と同じ格好だったから」

「…サバイバルナイフも?」

「うん」

「うっわー怖えー…厭な子供だなー…」

「あの時と同じ屋上で、また返り討ちにしてやったけどね」

「ああ…なるほど、だから」


──しとしと。


──ぽとり。


──しとしと。


「雨はもうとっくに止んでるのにいつまでも雫の音がするのか」

「あら、気付いてたのね?」

「注意深く聞いてたからね。知ってた?僕は君の物語の一番のファンなんだよ」

「ふふ…あとで水、集めといてあげる。花屋の植物たちにあげて」
「ありがとー!」


堕胎病院の一階と四階、世界の狭間の人外魔境に生きるふたりは、
ともにソファに寝そべって暗い窓を見あげる。
「それにしても──ねぇ?」
「それにしても──なぁ?」

声を揃えて。
「馬鹿は死んでも直らないって、本当なんだねぇ…」




──しとしと。


──ぽとり。


──しとしと。


その水音は、不気味に怨念めき、嘆くように、恨みがましく延々と続いて…やがて消えた。



《了》
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殺人鬼デイの人間カルテ~花屋編~

※読む上で必要な前知識。斬った物を水に換える化け物のお話です。彼女は正義の味方ではありません。



12月、デイの堕胎医院が存在するビル、その一階の花屋にて。

-Ⅰ-


「やぁデイ、今日の分の水はもってきてくれた?」

「《ヴァイネヤード》、あなたよくこんな奇形植物に囲まれて生活できるわね。
人間大のカビ胞子だの悲鳴をあげる食虫花だの…気が狂いそう」

「へへー、すごいでしょ~!
ここは文字通り植物園(ヴァイネヤード)。
絶望のエデン。僕の王国だからねっ」

「まったく、人間ってわからないわ…
あなたみたいなのを狂科学者っていうのかしら」

「へへっ、そんなことよりまた話をしてよ。
ここの植物たちは君の悪趣味極まりない話が好きなんだ」

「そう、じゃああの話をしましょうか。
9月のとある金曜日、私の医院を訪れた恋する彼女の話を…」


-Ⅱ-


「えへへ、わたしとうとう運命のヒトに出逢うことが出来たんです!」

「へぇ…運命のヒトねぇ…馴れ初めを聞いてもいいかしら」

「遊園地でぐうぜん同じベンチに座ったのが最初でした。
わたしは乗り物に酔っちゃって、つらくてずっと俯いてたら彼が黙って肩を貸してくれて…
そのとき何となく『あ…この人だ』って思いました」

「あらら、その程度で運命とか言っちゃうの」

「えー、ゼッタイに運命のひとですよー!
だって彼すっごく優しいんですよ
それに格好いいし、真面目だし、まつげ長いし…えへへ」

「わかったわかった、もういいわ。それで用件は何なの?」

「頭もいいし、料理もうまいし…
あ、わたし今赤ちゃんがいるんですけど彼子供好きだからすごく喜んでくれてー」

「だからもういいってばー!」

「で、その赤ちゃんが前カレの子なわけです」

「……」

「何回計算してもそうなんです…えぐっ、ひっく…ど、どうしよう~」

「なるほどね…」

「いまはまだ気付かれてないけど、これがバレちゃったら私たちおしまいなんです!
勘違いでも想像妊娠でも何でもいいから、無かった事にするしかないの!


だからお願いですデイさん、この子を──堕ろしてください!」


-Ⅲ-


「で、堕ろしたの?」

「ウチのルールでね。一度目だけはどんな理由であれ堕胎を受け付けてあげるのよ」

「えぇー何か納得いかないなぁ!せめて前の彼氏サンにも正直に相談してから決めなきゃー」

「まぁね。わたしもそう思った。
でも彼女が彼氏のことを本当に好きで、嫌われたくないって気持ちも
伝わってきたのよ。

彼女はズルくて不誠実だけど。
その気持ちだけは真実に見えたの。」

「ふうん…で、その娘はどうなったの?そのままハッピーエンド?」

「いいえ。彼女は三ヶ月後ふたたびウチに来たわ」

「わくわく」

「新しい彼氏を連れて、ね」

「……えぇえええ?ちょっと待って・・・えっ、アリなの?それ」

「気持ちはわかるけどすごい引きっぷりねぇ…」

「だって、予想外に外道だよその娘!赤ちゃんまで堕ろしといてそんな・・・・・・
運命の彼氏はどうなったのさ!」

「あのヒトとのことは勘違いだったって言ってたわよ。
よく見たらそんなに格好よくなかったって。
よく考えたらそんなに優しくなかったって。
頭わるかったって。料理ヘタだったって。
真面目じゃなかったって。子供好きじゃなかったって。
むしろ自分にひどいことをした、暴力ふるったって」

「……えー」

「つまり、彼女は結局そういうヒトだったのね。
好きなうちは運命の恋人だって勝手に盛り上がって。
嫌いになったら最低の男だ、自分に冷たいと言って。
そうして次々に男を渡り歩いていたの」

「うわぁ…最低だぁ…」

「極めつけはふたたび現れた彼女の台詞。


“こんどこそ運命のヒトが見つかったから大丈夫。”

“でも前カレの子供が邪魔だから堕ろしてくれ。”


三ヶ月前にこの医院を訪れた時とまったく同じ言葉を吐いたの。
あの時と変わらぬ、恋する乙女の表情でね」


-Ⅳ-


(回想)

「…という訳なんですぅデイさん!またあのときみたいに助けてくださいよぅ」

「二度目はないわ。死になさい」

「えっ?今なんt」

(描写不能。回想終了)


-Ⅴ-


「これで彼女の話はおしまい。
楽しかったかしら?《ヴァイネヤード》」

「うんっ、最悪すぎて吐き気がしたよデイ。
植物たちも喜んでるみたいだ」

「そう…よかった。
あ、そうそう忘れるところだった。
これは今日の分の水。植物たちにあげるといいわ」

「ああ、ありがとう、いつも助かるよ!
これは植物にとってすごく良い養分になるんだよ……ん?」

「あら、どうしたの」

「いや、たしかこの話の始まりって三ヶ月前だよね」

「ええ」

「彼女が再び訪れたのって三ヶ月後?」

「そう」

「つまり、今日?」

「ぴんぽん」

「この水…も、も、もしかしてっ……」

デイはにこりと笑った。

「それはいわぬが花、ってものよ」



殺人鬼デイの人間カルテ~花屋編~
――おしまい

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